霧島を眺める贅沢な散歩道

散歩道から眺める霧島連山 日々のこと

何も考えたくない時、何かを考えたい時
ちょっとした散歩道を持っていると、とてもいいものだ。
畑や田んぼがあれば季節を感じ、季節の香りや食卓の香り、煙突の煙の香りがあり
挨拶を交わし時には井戸端会議で時間をつぶす。
散歩をすると忙しすぎて忘れていた大切なものを気づかせてくれる。


霧島連山を眺めながら散歩

僕の家から歩いて5分で雄大な霧島連山を眺めることが出来るポイントがある。
今の場所に住むことを決めたポイントの1つである。
本当はこの景色を家から眺められる場所に住みたかったのだが、その場所は水害の際に被害を受ける可能性が高いということで、そこから歩いて5分という場所に決めた。

夕暮れ時、天気が良いと一番気持ちのいい場所だ。
周囲に住んでいる人からしてみれば日常の風景だろう。
だから僕がカメラを持っていると、大抵興味を示してくる。

そこから世間話が始まる。


薪のある家

僕の家には薪ストーブがあるが、僕の家の周囲では「薪」があることは珍しくない。それが僕には新鮮だ。
夕暮れ時に散歩をすれば、色んな家の煙突から煙が出ている。
大抵風呂を沸かしているのだが、薪で暖を取る家もある。

薪で風呂を沸かす家もあれば、灯油で沸かす家もある。
夕方、西日に照らされる田舎の家の煙突から煙が出る風景を眺めながらの散歩は、なんだかタイムスリップしたような不思議な気持ちにさせてくれる。
食卓の香りがすれば、包丁とまな板の「コトコト」という音が聞こえてくるような錯覚を覚える。
(とはいえ、大半は肥やしの匂いだが)
僕の友人が以前に五右衛門風呂の家に住んでいた気持ちが分かるような気がする。

間もなく「平成」も終わろうとしている。
だけどここには、僕の生まれた「昭和」の香りがする。


地の者

僕の住んでいる場所では、昔からそこに住む人を「地の者」と呼ぶ。
反対の意味の言葉は怖くて聞けてないが僕は「地の者」ではない。
隣町出身の妻でも「地の者」ではないほどに狭いコミュニティーだ。

そして、ここの「地の者」はとても温かい。
越してきた時にもっとも不安だったのは地域コミュニティーだった。
田舎に住むことを考えるときに、最も気にしていたことだ。

僕が越してきた時、みなさんが「若い者が来てくれた」と明るく話してくれた。
間もなく40歳になる僕だが、ここではきっと50歳でも「若い者が来てくれた」と喜んでくれる。
庭作業をしていると、畑越しに気さくに話しかけてくださる。
田舎暮らしはとてもいいものだ。

僕は「地の者」ではないが、この土地に来て良かったと思えるように散歩しようと思いにふける。
ここでは、みんな散歩している。


年を重ねても眺めていたい霧島連山の見える散歩道。
いつか贅沢ではなく「当たり前」に感じる日が来るのだろうかと夕焼けを眺めながら感動した。
変わらない風景というのは大事なことだ。